冷凍ごはんの涙・私がブログをはじめた理由

女性の生き方

ある日、いつも通り夕食を終えて、残ったごはんを冷凍するためラップにくるんでいたら、突然涙が出てきた。

頭の中がラップでくるまれたごはんでいっぱいになった。

どうして涙が出てきたのか、正確な理由は自分でもよくわからない。

ただ、「私は来る日も来る日も、毎日、冷凍ごはんをラップにくるむのか」と思ったら、突然空しくなったのだ。

残ったごはんをラップでくるんでいると、最後に中途半端な量が残ってしまうことがある。そういう時は、「今日は失敗したな」と思う。逆に、ちょうど等分で冷凍ごはんができる日もある。そういう時は、「今日は上手にできた」と思う。

そんなことで達成感を感じるなんて、やっぱり空しい。

冷凍ごはんに罪はない。

涙の日、彼は横で仕事をしていた。食後は仕事をしているか、YouTubeを見ているか、だいたいそのどちらかだ。

彼が、今現在の生活の糧を得る生産的活動をしている横で、また、将来の自分の経験につながることをしている横で、私はごはんをラップにくるんでいた。その行為がなんだかとてつもなくどうでもよいことのように思えたのも、涙の理由かもしれない。

妊娠も後半に入り、お腹が大きくなってきて、夕食後はとてつもなく身体が重い。その重い身体を引きずるようにして、ごはんをひたすらラップにくるむ自分が、なんだかかわいそうに思えたからかもしれない。

そして、そんな私の心の機微を、彼が少しも理解していないこともきっと涙の理由なのだろうと思う。

冷凍ごはんに悪意はない。そして、彼にも悪意はない。

彼の海外赴任を機に、専業主婦になった。妊娠し出産を機に、きっともうすぐ母になる。

どれも自分で決めたこと。自己責任だ。

このご時世、専業主婦をさせてもらえるなんて、きっとありがたいことなんだ。望んで妊娠できたなんて、きっととても幸せなことなんだ。

ただ、心のある一部分にかかったもやが、消えないのだ。

このもやがいつから心にかかっているのか、定かではない。ただ、20代の頃にはなかったように思う。

そして、私の知る限り、同世代の女性の多くはこのもやと付き合って生きているように感じる。すでにもやを振り払った人、もやとの付き合い上手な人、もやに飲み込まれそうな人、はたまた、もやを持たない人。いろんな人がいるのかもしれない。

結婚している人、結婚していない人。

子どものいる人、子どものいない人。

仕事をしている人、仕事をしていない人。

女性はこうやって分類されることがある。どのような生き方を選んでも、自分で決めたこと、つまり自己責任だ。そんなのわかってる。

でも、どれを選んでも生きにくそうに見えるのは私だけだろうか。心の一部にもやがかかったままもがいているように見えるのは私だけだろうか。

共働きの友人は言う。「当然ワンオペ、ほんの一時を除いてシングルマザーと変わらないよ。」

専業主婦の友人は言う。「仕事をしたい。でも仕事をしたからって家事・育児負担が減るわけじゃない。体力的にもつきがしない。」

独身の友人は言う。「確かに仕事は充実しているけど、ふと実家に帰りたくなることがある。」

このもやの本当の原因がなにかはわからない。

社会的な問題なのかもしれない。非正規雇用問題、男性の家事育児参加の問題、男女の賃金格差、妊活、保活、セクハラ、マタハラ、モラハラ、ガラスの天井。

はたまた、「あたしお母さんだから」に象徴されるような、意識の問題なのかもしれない。「あたしお母さんだから」は他者から強いられている側面もあるが、自分でつくりだしてしまっている側面もあるのかもしれない。

今の私で言うと、マタニティブルーというやつなのかもしれない。

ただひとつ言えることは、このもやは自分の心の中にあるもので、自分以外の誰も取り除くことができないということ。

社会の状況が変われば、もやを取り除く助けになるかもしれない。

パートナーの理解が深まれば、これもまた、もやを取り除く助けになるかもしれない。

ただ、これらはあくまでも「助け」にしかならない。

だって、もやは自分の心の中にあるのだから。

もやの原因も取り除く方法も、きっと人それぞれなのだと思う。みんなの心のもやを一気に取り除く魔法なんて、きっと存在しないんだと思う。

だからうまくいくかなんてわからないけれど、私はこのブログをひとつの道具にして、私の心のもやを取り除く挑戦をしてみようと思う。

ただ書くことで、もやが晴れるのか。

社会とつながっていると思えることで、もやが晴れるのか。

書いたことが誰かの役に立ったかもしれないと思えることで、もやが晴れるのか。

ブログをきっかけに100円の収入になればもやが晴れるのか。

そんなことはまだわからないけれど、とにかく試してみようと思う。

文章を書くことは昔から好きだった。自分の好きなものを知ってもらうことも好きだった。だからブログはきっとよい友人になってくれるのではないかと思っている。

今日、なくなりかけのシャンプーの横に置いておいた新しいシャンプーが開封されていた。このシャンプー、私は全く使っていない。

常に次のシャンプーを買い置きし、シャンプーの減り具合をたまにボトルを持ち上げて確認し、少なくなってくるとそっと横に新しいボトルを置いておく。きっといわゆる「名もなき家事」というやつだ。

新しいシャンプーを彼が開封したのは明らかだが、このことについてなんのコメントもない。感謝してほしいとか、ありがたがってほしいという以前に、気付いてほしい。私のしたことを評価してくれる人は他にいないのだから。給与があるわけでも表彰されるわけでもない。次のキャリアにつながるわけでもない。だからただ、気付いてほしい。

また、心にもやがかかる。

でも、このもやを取り除けるのは、他の誰でもなく私だけ。

他人を一瞬にして変える方法は持ち合わせていないけれど、自分のコミュニケーションの取り方を変えることはきっとできる。

自分で自分の心のもやを晴らせたいと思う。誰かのせいにするのではなく、自分の責任で、自分の心を晴れやかにできる人でありたいと思う。