母になる・出産1年後の葛藤

女性の生き方

気が付けばもうすぐ娘は1歳5か月。産後はじめての記事は、今の気持ちを残しておこうと思う。

とにかく娘はかわいい。母性なんて神話としか思っていないけれど、そんなのどうでもよくなるくらい、ただただかわいい。この子のために健康でいなくては、生きなくてはと強く思う。

ただ、同時に子育ては想像していた以上に大変。「大変」なんてことばでは言い表せないくらい大変。

なにが大変か?

産後すぐは、とにかく眠れないこと、小さな命を守る緊張感にさらされ続けること、おっぱいの激痛、身体の不調。

身体は出産のダメージを受けているというのに、授乳は3時間おき。3時間おきと言っても3時間連続して眠れることなんてない。30分かけて授乳して、げっぷさせて、なかなか寝ない娘をひたすらだっこしていたら、もう次の授乳時間がやってきた!なんてこともざら。睡眠が十分でなく身体は疲れ切った状態。当然判断力も低下している中、小さな小さな命を守るプレッシャーと闘わなくてはならない。

産後すぐの時期を過ぎると、引き続き不安との戦い。なんせわからないことだらけ。寝返りが遅いかな?といった成長の不安、熱を出したり怪我をしたりした時の対処、おもちゃや遊び、離乳食や授乳。第一子ならではだろうけれど、とにかくわからない!調べる!試す!を繰り返す。

では、産後1年を過ぎた今、なにが大変か?

ひとつは、自我が芽生えひとりの人間として成長する娘とどう向き合えばよいのかという子育ての問題。育児はこうするべき、なんて意見にいちいち耳を傾けていたら身が持たないくらいに情報過多。それでも調べずにはいられない。

そしてもうひとつは、私自身のアイデンティティの問題。

前者、子育ての問題は別の記事で書くとして、今回は、私自身のアイデンティティの問題について書いておこうと思う。

ある日、高校時代の友人女性がとある医療系の学会で講演を行うと聞いた。すごい!と思うと同時に、胸がちくっと痛む。彼女は、彼女としてこれまで積み上げてきた何かがあり、そして、今そこに必要とされる場所がある。では、私は?

人にはいろいろな立場や役割がある。誰かの子として、親として、職業人として、趣味人として。会社では会社員としての私が、家庭では親としての私が、趣味を楽しむ私や、勉強する私、あらゆる私がいる。いや、いたはずだった。なのに、「母」になった途端に、「母」としての私以外をすっぽり失ってしまったように感じる。物理的に「母」として過ごす時間が増えるのは致し方ないけれど、周囲の目も、そして自分自身が自分自身に期待する役割でさえも、「母」に大きく偏ってしまうのだ。

「母」は立場なのか仕事なのか、どちらでもないのかもしれないが、例えば仕事と考えると切ない。朝6時から自分の朝ごはんも食べられないまま働いて、家事をしている最中に子をひとりで遊ばせ、ちょっと泣いてしまっただけで、第三者から「かわいそう」と言われる。そんな仕事って他にあるだろうか?これを「父」がやっていたら同じように「かわいそう」という言葉をかけられるのだろうか?こんなにも大変で難しい仕事なのにいざ再度仕事を探すとなるとキャリアとして見られないのはなぜなのだろうか?

「母」だって、「私」であり、「私」には「私」の人生がある。

至極当然のことなのだけれど、「母」以外の「私」を失ってしまったように感じるのだ。

産後すぐに仕事復帰すれば?趣味の時間をつくれば?なにか新しいことに挑戦すれば?もしかしたら、この喪失感は多少和らぐのかもしれない。私も娘の昼寝中に英語を勉強すると、なんだかホッとするような気持ちになる。

でも「母」としての役割の大きさと重さに、その他の私はどうにか息をするのがやっと、という感じ。

子を愛するが故の責任、子と自分の同一視、社会からの期待とプレッシャー、(特に専業主婦は)経済的に自立していないこと、キャリアとして認められないこと。自分自身の力でそれらを跳ねのけられず、「母」に押しつぶされそうになってしまう。

私自身のこのモヤモヤを解消するために、とにかく諦めないでいたいと思う。なにができるか、どう考えられるか向き合っていきたいと思う。